高次脳機能障害 就労日誌

17歳で自殺未遂、高次脳機能障害に。リハビリ、職業訓練を経て障害者枠で正社員就労中 ASD積極奇異。精神2級。

誕生日を祝ってもらえた

今月7日に、無事24歳を迎えました。

旧知の友人何人かに、プレゼントを贈ってもらいました。

会社の友人には、ランチをご馳走してもらい、

かわいくラッピングされた入浴剤セットをいただきました。

義母と夫と一緒に、ホテルのビュッフェに行って満腹です。

父や、母、姉にもおめでとうのメールをもらいました。

これって、思い描いていた日常みたいだなーと思います。

なんとなく、自分を取り巻く周辺状況が、

落ち着きを取り戻してきたのかなと感じます。

 

17歳の自殺未遂の前は、随分セオリーから外れていましたが、

ついにここまで持ち直したんだ、と思うとホッとします。

少しずつですが、いろんなことに興味が向き始めて、

社交に使うエネルギーなども、充填されつつあるのかもしれません。

 

過量服薬は、見捨てられ不安が爆発して、

自暴自棄になっていたのもありますが、

自分が世界にとって、不要どころか、排除する対象、

害のある人間であるという考えに囚われて行いました。

私は、一度固執しだすと、人の話を聞かずに、

病的に頑固なところがあるのですが、

自分に対して不利になる情報ばかりを掻き集めて、

自殺するための根拠や理由を勝手に作ってしまったのです。

 

今、生まれた日であるというだけで、

こうも良い接遇を受けられるということは、

私の日頃の行いが良かったということにします。

私は、自分の力だけではないにせよ、自立のために頑張りました。

そしてその成果を手に入れ、今後も成長しようとしています。

それはとてもすごいことで、誰も貶さないと思います。

だから、私はどんと構えていれば、問題ありません。

できる範囲で人の気持ちと自分の気持ちを擦り合わせて、

自分のスペースで自分の幸せを育てていきたいです。

60年と20年

先日、父が還暦を迎えました。

同じように、いつも良くしてくれる直属の上司も還暦を迎えました。

私は今、24歳なので、両者とも実に倍以上の年月生きてきた人です。

社会に出てからの年月すら、私の人生より長いということです。

今までの人生は、ほとんど前菜のようなものなのかもしれません。

 

父は、ほとんど自分のことを話さないので、

聞かない限りは、自分の思い出話すら話しません。

母と外国へ旅行に行った写真を見せてもらって、

ここはどこか、なにが美味しかったのかと、

質問をしないと、自分から説明してくれません。

なので、私と父との会話は、さながら記者会見の質疑応答のような、

はたまた孔子と弟子の問答のような、

哲学探究じみた内容によく行き着きました。

話しているといつも言い負かされたような気持ちになっていました。

 

反対に、今の上司はとてもおしゃべりです。

会報を出し、テレビや新聞の取材もくる程の

規模と歴史を持つ地元の天文研究会の会長で、

そして、野鳥観察の第一人者でもあり、

双眼鏡と望遠鏡が家宝、というなかなかいないレベルの趣味人間です。

私の父と母は、旅行先で知り合った恋愛結婚でしたが、

(母が曰く、結婚してくれないなら殺すと迫ったという)

部長は、姉さん女房と古典的なお見合い結婚をした人で、

今は、奥様の実家に同居して、毎朝横須賀から

電車で片道一時間半かけて出勤しています。

新卒でこの会社に入ってきたわけではないものの、

勤続30年を超えているようで、流石内外の人脈が広いようです。

今までは、その年代の人の特徴として、

男はこうであれ、女はこうであれ、と枠にはめて

考える傾向の人が多いと肌で感じていましたが、

不思議に部長は物腰が柔らかく、感情的になったり、

女性らしさを無理に押し付けようなどということはなく、

同じくらいの娘がいると、親身になってくれ、

嫌な顔一つせず、なんどでも仕事を教えてくれるのです。

豚毛のブラシで髪の毛を整えてから退勤するのを見て、

ああ、これがあるべき大人の姿なのかな…と妙に腑に落ちました。

 

でも、そんなふうに神格化していると、肩透かしをくらいます。

願望を押し付けすぎると、イメージ通りでなかった時、

少なからず怒りを感じるのです。勝手なものです。

誰にでも、一長一短、いいところがあれば、悪いところもあります。

それらをいちいちあげつらって、拡大解釈して、

ゼロイチ思考で良い悪いの判断など、してはなりません。

良い時も悪い時もあり、それはそれとして、

それだけで判断してはならないのです。

価値観は法でも秩序でもありません。

自分でしっかり芯を持った行動をしていれば、

他人のことを責めなくてよくなります。

 

年月を経て出来た年輪が、傷や穴すら美しく雄大であるように、

磨かれた光る石になれなくても、削れて丸くなった川底の石のように、

誰かの手に優しく馴染む石になれたらいいと思います。

精神の恒常性

依然として寒さは厳しいなかですが、風邪もひかず勤めてられています。

先日職場の近くのコンビニで思わぬ再会がありました。

以前通っていた職業訓練校で同じクラスだった方が、

私の職場のすぐ近くに住んでいました。

2年ぶりくらいの再会でしたが、目があってすぐお互いにわかりました。

私とは親子ほど歳が離れている、二回の離婚歴のあるおじさんです。

コンビニのイートインコーナーで、世間話をしました。

風の噂で私が結婚したことや、以前の会社を

辞めたことなども伝わっているようで、

何だかんだ話は流れ着くものだなあと思いました。

 

私が一番大変だった17歳の時から、もう5年経ちました。

現状、素晴らしいとまでは言えませんが、

家にこもりきりの状態から、よくぞ持ち直したと思います。

私は、精神科に通うまで、自分が丈夫な人間であると自負がありました。

嫌なことがあっても、一晩寝ればケロッと忘れて、

次の日には元気になっていることは、普通でした。

それは、レジリエンスといわれる、気持ちのしなやかさがあったからです。

戦争に行った兵隊は、激しい戦闘によって、

PTSDを患うことが多いのですが、

当然ケロッと普段の生活に戻れる人もいます。

このような人は、大きなストレッサーがあっても、

スピーディに自分の精神を普段のステータスまで戻すことができます。

外部の影響に乱されず、冷静に事実を受け止め、

早急に必要な対策を考え、実行するためには、

自らに起こったトラブルに対しては、当事者性を

多少和らげて考えることが効果的です。

楽観的に考えれば、行動を早く起こせるようになります。

案ずるより産むが易しというぐらいですから、

あれこれ考えるより、まずは行動をし、

それから軌道修正をしていった方が結果的に早いのです。

 

私の精神の恒常性が崩れたのは、拠り所を自分で無くしてしまったからです。

当時、学校生活の中で、仲の良かった友達が不登校になってしまい、

私自身学校でずーっと浮いていたので、孤立していました。

好きだった絵を描くことも、受験に力を入れようと自ら制限しました。

インターネットで絵を描いて投稿し、たなんとコミュニケーションを取るのは、

数少ない人との交流で、ずいぶん助かっていたのですが、

それを辞めてしまったから、そう経たないうちに学校に行けなくなりました。

 

人は多分、いつも通りの習慣を繰り返すことに、

何らかの安心感を感じていると思います。

毎日のお米、味噌汁、シャンプーの匂い、

パンの焼ける匂い、朝一番に飲むお茶の香り…

これらの朝の定番のイベントが、朝を朝らしくして、

いつも通りの毎日に安心して一日を始められるので、

まるでちょっとしたお祭りの儀式のようです。

毎日必ずやることをやらないだけで、何とも変な感じがします。

どうでもいいようなことが、意識の外で、

精神の恒常性の維持に大きく関わっているようなのです。

これを意識することで、朝の行動が少し楽になります。

義務というより、習慣にしてしまえば、

毎日の義務に対して、ストレスを緩和できます。

仕事に行きたくなくても、まずは服を着るだけ…歯を磨くだけ…顔を洗うだけ…と、少しずつでもこなしていけば、その気に持っていけます。

なるべくストレスなく気持ちをコントロールするための方法を、

自分なりに探して、増やしていきたいです。

過剰な期待と妄想

年末年始は楽しく過ごせました。

クリスマスケーキ、出来は良くなかったですが、

遊びに来てくれた友達と食べました。

正月は一年ぶりにいとこの子供たちと遊びました。

みんな背が伸びて、めいめいに好きなことを教えてくれました。

職場の忘年会では、生まれて初めて飲みすぎて吐きました。

祖母の家で手作りのおせち料理を食べ、

有名どころの初詣にも三箇所ほど行きました。

無宗教ですが、一年の区切りとして、良い行事と感じます。

今年で平成も終わりを迎えますが、徐々に生活は安定しています。

総計としては、実りある一年を過ごせたと思います。

 

正月気分も落ち着き、業務は通常通りです。

相変わらず、図面修正がメインの業務です。

今年定年を迎える部長は、父と同い年ですが、

たまに一緒にご飯を食べたり、話しながら帰ったりします。

物腰が柔らかく、その年代の人間にしては、

女性蔑視的な発言のない非常にニュートラルな人で、

仕事の質問もしやすく、非常に助けられています。

私の抱いていた理想の優しいおじさんで、

悪い癖で、秋頃には神格化してしまい、

アクリルで描いた本人の肖像画までプレゼントしたほどでした。

一度、他人を神格化すると、小さなギャップから

人格を全否定しがちになってしまうので、

意識して止めるように心がけ、年が明けてからは

多少、一人の人間に頼り切ったり、信じきったり、

挙動に一喜一憂したりしないぞと気をつけています。

過剰な期待というのは、ある意味では妄想に近いですから。

 

この前初対面で出会ったとある人は、

身なりがとてもしっかりしていて、物腰が柔らかかったので、

さも素晴らしい人間なのだろうと勝手に過大評価していたのですが、

その後、とある人とのやりとりを見ていると、

まあ当たり前ですが、高尚な人間がするような内容ではないのです。

疲れていると全方位射撃のような言動もあり、

人間らしい弱さがあることは一目瞭然でしたが、

私は初対面の印象だけでその人が偶像的な

"完成された社会人"だと定義してしまっていたので、

その予想に反する現状を見て、ショックを受けたのでした。

このようなことは、なにも今回に限ったことではなかったので、

自分なりになぜ人を神格化してしまうのか考えたのですが、

過剰に相手を神格化し、こき下ろしてしまうのは、

期待をした時点で相手に願望を押し付けているに過ぎないのです。

願望を押し付けるのは、問題に対する、能動的な対処ができていないからです。

反対に、相手をよくしようとコントロールしすぎることもあり、

私のゼロイチ思考が強く出ていることがよくわかりました。

能動的に対処しようとするあまり、相手を束縛し、

支配しようとしているのかとさえ感じさせるような言動が多いようです。

相手に対して過剰な期待を寄せたあと、 勝手に失望してこき下ろすという一連の動きは、

よくボーダーの人に多いと言われていますが、

私が友人を作ってもすぐにピークの後は燃え尽きてしまうのは、

やっぱり自分なりの"仲がいいとこんな風に関わる"

というイメージがある故に、どうも無理をして

"仲の良い人間同士の関わり合いシーンの再現"

をしなくてはならないという強迫観念がやめられず、

自分の首を絞めて窮屈に感じるからなのかもしれません。

でも後悔しないためにも、自分のことは 自分で

決めるよう、心がけるようにしています。

そして結果が少しでもよくなったら、私は嬉しく感じるはずです。

 

年末を迎えて

今年は前職場での新年会でキャバレーに連れていかれ、

試用期間後も正社員に登用されないことで、

社長と喧嘩して辞め、新年早々激動の年でした。

とにかく仕事に復帰するのに必死でした。

四月に退職後、六月から新職場で働き出し、

有難くも新入社員と同じ研修を受けさせてもらい、

半年後には正社員として働き始めることができました。

退職後はかなり落ち込んでいましたが、食うや食わずじゃいられません。

そんなこんながあっても、私が挫けずになんとか前に進めたのは、

一重に私の伴侶が支え続けたくれたおかげなのです。

親との精神的な関わり合いがもてず、大変な人は

外部要因次第で破滅にも救済にも向かいます。

今の職場には、上司に恵まれました。

また、私生活が安定したことにより、

不安定だった対人関係も改善し、友人も増えました。

表情も明るく、徐々に自信が戻ってきたのが実感できます。

久々に買ったゲームで、友達と遊べるのが楽しいです。

なんといっても、夜寝て、朝起き、働けるのは嬉しいです。

本当に身の詰まった、良い一年を過ごせました。

お世話になった方々と我が伴侶に、一つでも恩返しできるよう、

来年も出来る範囲でやれることを増やしていけたらと思います。

本当にありがとうございました。

来年も宜しくお願いいたします。

良い垣根は良き隣人を作る

タイトルは、英語圏のことわざである。

原文 Good fences make good neighbors.

そのまんまなのだが、日本でいう親しき仲にも礼儀あり。

節度ある振る舞いをし、自他の境界をはっきりさせておけば、

野蛮、傲慢で侵略的な悪い隣人ではなく、

歩み寄り、助け合い、労いあうのことできる、

良き隣人を得ることができるという意味である。

 

私は自分の特性ゆえ、他人のパーソナルスペース、

生活圏内に頓着なく踏み込んでしまったり、

干渉可能領域を逸脱するような侵略行為をしがちであった。

自覚した後は、どんなに仲良くなっても、

「相手は良い意味で他人であり、別の宇宙であり、

別の倫理規程によって所轄されている。」

という意識をなるべく持つよう改善した。

これを侵し、他人の考えをさしたる正当性もなく

変えようと踏み込む行為は、友人を減らすことに直結している。

どんなに仲が良くなり、冗談を言い合えるようになっても、

超えてはいけない一線があることを理解しなければならない。

また、最初から支配する目的で、ガードが緩く、

自尊心の低い人間をあえて狙うような、

利益最優先の人間や、底意地の悪い人間に、

散々利用されぬよう気をつけるべきだ。

 

正直、気を使わない仲というのも、難しい。

長い間共に生活しても、ノンバーバルなコミュニケーションは、

その時の体調や周辺状況によって、うまく感じ取れない。

言語での意思伝達でさえ、表情をうまく作れないと誤解の原因だ。

身近な人間とこそ、こまめにコミュニケーションをとって、

ヘルツを合わせておいてやることが大切だ。

その際は、相手に対する敬意を忘れないことが、第一である。

価値観と個人領域

いずれ死ぬのに、みな、なぜ何か成そうと

必死で生きてるのか不思議だった頃があった。

生きるというのは、色々な物事を経験し、

感じ、判断するための手段でしかなく、

生きることそのものに、たいした価値はない。

もし価値があるなら、それは自分ではなく誰かにとって、

価値があるということなのだろう。

価値という概念は、なにか大変に、

生きることそのものに結びついていそうだ。

価値というのも、ふた通りあり、これは、

相対的(客観的)なものと、絶対的(個人的)なもの。

相対的なものをいくら考えてもキリがないので、

なんの後ろめたさもなく、良いと直感できること

そのものこそが、真の快であろう。

他人が、心から安心し、私に四肢を投げ出す様子を見て、充足を得る。

私はいま、背中を預けられる程度には頑丈で、

お前を守ってやれるほどの体力と知性があるのだ。

その瞬間、神が降りる。

身体的限界領域を超え、地球を覆う大気のように、

全てを受け入れる用意があるとすら、思えてくる。

死は織り込み済みなのだ。

トラブルも悲劇も、全ての結末は、起こるべくして起こる。

惰性で生きるには辛い時間が長すぎる。

だから、モルヒネまがいの努力をする。

そういう悲劇と、それでも乗り越えてきたという、

小さなプライドだけで、多少ひもじくても生きられる。

結末などわかっている。誰の上にも等しく最期がくる。