高次脳機能障害 就労日誌

17歳で自殺未遂、高次脳機能障害に。リハビリ、職業訓練を経て障害者枠で正社員就労中 ASD積極奇異。精神2級。

子供を生きる

20歳なりたての人は、まだ顔も幼く、

背丈や身格好ばかり、大人のようです。

でも、人を待つ時の仕草、謝り方、

落ち込んでいる人への対応、怒り方、

きちんと場数をこなしてくれば、中身もそれに伴っていきます。

物事に責任持って取り組み、投げ出さない持久力、

必要な時には適切に援助を求められる判断力や、

失敗した後のリカバリ能力、対応を間違えないための洞察力、

ピンチもチャンスに変える機転の良さ、

成功するための貪欲な根回しを行う計画力。

どれもこれも、いくら本を読もうが、人に教えを受けようが、

一朝一夕に手に入るものではないゆえに、

実際の経験のみが肉になるというわけです。

これらをきちんと兼ね揃えた大人は、

それは素晴らしい誇れる人生を歩んでいけるのでしょうが、

現実そうはいかないのとの方が圧倒的多数です。

 

なんらかの問題から、適切な程度のトライアンドエラー

繰り返さずに育った子供は、物事に対して

極端な見方ばかりするようになります。

物事の結果にばかり目がいくようになり、

経緯をよく調べずに判じてしまう。

頭でっかちになり、事前の情報を鵜呑みにして、やる前に諦めてしまう。

成果主義にこだわりすぎると、人生の本質に目が行きにくくなり、

明確な理由がないと、食べ物を食べることはおろか、

存在することすら許されていないと思い込んでしまいます。

こういったことから、認知の歪みが起こっていきます。

 

幼児の行動を考えると、彼らの行動は極めてエゴイスティックで、

時には大人も顔をしかめるような、

悪意の原石が垣間見えることがあります。

彼らに悪という概念がまだなくとも、

大人の反応はそれを悪だと判じます。

彼らがやってはいけないことをしでかした時、

間違っても、感情的になって人格を否定してはいけません。

言葉よりも、行動や表情で、人の怒り度合いはよくわかります。

これを誤ると、行動に誤りがあったと分からず、

自分自身が悪であると身に染み付いていきます。

親に迷惑をかける自分から、社会のお荷物へ

ただスライドだけなのだ、と自己卑下し続けないと、正常を保てません。

親元から離れても、内なる親的規範によって裁かれ続け、

息苦しい毎日を送らなくてはなりません。

 

こうして大人になると、誰かの思い通りになることで、

自分を一定の位置に保とうとするあまり、

自然と支配的な人間を引き寄せるようになります。

よく言う不幸体質というのも、この類と考えています。

そうなれば、直すのは大変です。

生きるために殺し続けた自分の意思、欲求を掘り出し、満たしてやらなければ、

一向に心の空虚さは埋まりません。

みんなが楽しいというゲームをしても、

自分の視点で楽しめないため、不思議と傍観者の立場のまま、

妙に冷静に考えて「今自分は楽しいはずだ」と

納得したつもりになるも、その実楽しくはないので、

狐につままれたような、人生の当事者観が

欠如したまま生きねばなりません。

 

妙に周りと折り合いをつけすぎると、

どんどん本来の自分から乖離した自己像が勝手に作られ、

そのうち自分でもつかめなくなるので、

白い靄に包まれたような不安感に襲われるのです。

 

必要なのは、欲求を素直に認めることです。

一般的に浅ましいとされる感情でさえ、

認めてあげなければなりません。

それをわかっているかわかっていないかでは

自己コントロールの精度はぐんと上がります。

 

大人はコーティング材に過ぎず、コーティングを剥げば

そこにいるのは指をくわえた子供です。

社会的な生活をするための鎧を脱ぎ、子供になる時間も、

真に大人であるためには必要なのだと思います。

うちなる子供を時にしかり、時に甘やかし、

でも必ず、一番の味方でいてやりたいものです。

 

不完全性への愛

初めて会う人間との距離感は、

一般的に遠いものだと思います。

何回も顔を合わせ、会話を重ねることで、

人がお互いの性格や様々な周辺状況を知り、

距離感が徐々に縮まっていき、対人的緊張もほぐれます。

初対面の人間に対しては、ある程度の接し方の規範があります。

まずは、見ず知らずの人間で、これからお世話になる場合、

失礼があってはいけないし、攻撃対象とされないよう、

慎重に言葉、行動を選ぶかと思います。

しかし、この慎重さや丁寧さが逆に作用して、

人との距離が縮めづらくなることもあります。

そこで、私は考えました。どうして慎重になるのか?

だいたい、嫌われたくないからです。

嫌われることが、自分の不利益になるからです。

でも、嫌われない方法なんてありません。

嫌いになるのに理屈がいらない人もいます。

だから1番いいのは、嫌われたことに気づかないことです。

私は、話の間が怖くてしかたありません。

話をしないでいると、目をどこにやればいいか、

どんな表情をすればいいか、わからなくて困ります。

だから、ずーっとマシンガンみたいに喋り続けます。

相手の反応が返ってくるスピードが遅くなってくると

途端に怖くなってまくし立て、相手の反応に注視しないようにします。

それでひとまず安心することができるのです。

もはや会話ではなくトークショー状態です。

先日遊んだ友人も、その多弁さに驚いたようです。

あった後は相手も私も疲れていることでしょう。

私は人と近しい仲になりたいと思っていて、

それが男だろうと女だろうと肉体的な接触を求めている気がします。

つまるところ、実は会話が苦痛なのですが

会話しないこともまた苦痛で、肉体的接触の際は

口を休めることができるので楽ということです。

でも一通り話して仕舞えば本当に話すのは搾り出すようです。

でも強迫的に喋ってしまうのでしかたありません。

自分の不完全性を他人に許して貰うことで、

自滅的思考を停止させることができます。

それをそろそろ、他人に依存するところから

内在する神的存在に担って貰うフェーズに来ています。

人の温もりというのはいいもので、その温もりに触れるたび、

その人の半生を想像したり、疲れた手のしわや、

剥けた唇の皮、ひっつめた頭から飛び出た後れ毛、

掛け違えたボタン、電話での空笑い、仕切りに動く手や足。

全てがその人の生きているかけらの数々です。

人の不完全性を愛さずに、一体何を愛せというのだろうか。

本を読む

最近、少しずつではありますが、

意識して友人を増やそうとしたり、

また絵を描いたり、本を読んだり、

ゲームをしたりできるようになりました。

 

ツイッターのフォロワーのフォロワーを辿ると

思いがけず趣味や共通点のない友人もできて

割と面白く、自分に変化が起きている気がしました。

結論はともかくとして、とりあえずやってみる、

トライアンドエラーができる状況を

取り戻しつつあるのかもしれません。

今年の一歩前進は、前の職場でのハラスメントに対して、

きちんと抗議し、辞めた後も、迅速に転職が行えたことです。

きっと以前の自分ならすぐに腐ってました。

それはきっと、自分が多少"開かれた"

人間になりつつあるということかもしれません。

また、やはり私生活が安定したため、

腰を据えて一つの物事に臨む姿勢がつきました。

やりたいことが増えて、いざやってみても、

続かないことなんてざらにあると思うのですが、

平日の仕事内容などを描いた日記は

かなり役立つので、すっかり習慣になりました。

休暇中は、出かけるか本を読むか、絵を描くか、友達と会うか…

色々と選択肢があるって、とても幸せですね。

仕事をしているから、休みの日に休んだ気分になれます。

仕事をしていないと、毎日辛いです。

誰にも必要とされず、誰にも感謝されず、

誰とも話さず、少しも表情を変えない生活は

とてもじゃないが、生きていけません。

お給料は許しであり、役に立っている証であるので、

溜まっていく通帳の額面を見ると落ち着きます。

 

最近、子供の心理についての本をよく読みます。

人の真似して、読書メーターもまたつけるようにしました。

本をきちんと読まない時期が長いと、

文字を目で追って、その内容がスルッと

頭に入っていくまでに少し時間を要しますし、

運動して焦りを取りたいので不安ですが、

シートン動物記や椋鳩十ばかり読んでいた幼少期が懐かしいです。

 

障害者手帳を更新したら、等級が上がってました。

明日も頑張りましょう。

趣味を取り戻すには

私は、子供の頃、絵を描いたり、動物を触るのが好きでした。

読書も好きで、学校の図書室へ足繁く通いましたし、

そうかと思えば、サッカーやドッジボールも毎日楽しみました。

でもこれらは、人とコミュニケーションをとるための、

1番効率のいい手段でしかなかったようです。

みんなみんな、人と仲良くなって、楽しく過ごすための手段であって、

本質的に物事を極めようとか、そういうレベルで

楽しんでいたわけじゃなかったのに、

私は何か勘違いをしていて、楽しいことを頑張ろうとしたのでした。

案の定、物事を極めようとすれば、孤独に努力を重ねる時間も必要なわけで、

それは決して楽しいわけでもありません。

私は人と一緒に何かやってそれが楽しかったのに、

物事そのものに興味があると勘違いして、

無理して技術や知識を得ようとストイックになった結果、

物事に対する興味や意欲そのものも失ったわけです。

みんなの言う頑張れを信じても、その重たさを計り間違えたので、

結局限度ギリギリまで無理して潰れてしまいました。

もともと生活の上で困っていて、それをどうにか

趣味で得た喜びで補填していたのに、それすら奪えば

立てなくなることはわかっていたのに、自分をいじめればうまくいくと思っていたのです。

仕事に就いて、ある程度の余暇が生まれても、自由だと認識しても、

急に伽藍堂な自分に虚しさを感じて、必死に人と関わって、

何かを取り戻せないか躍起になって、苛立ちを覚えます。

人と共にいたいと感じるのは、

ただ不安を紛らわすためなのかもしれませんが、

あの満ち足りた時間に帰りたいとずっと願ってしまいます。

人との距離感

私はそんなに友達が多くない方だと思います。

自分で音信不通にしまくったからです。

ネットもリアルも、大きな人間関係の分断をしています。

私は基本的に一人で思い込みを強めて、

どんどん自分から悪い方向に進む癖があり、

その軌道修正には、外部からのアプローチが有効です。

人は好きだし、仲良くなりたいと思うので、

仲良くしようと頑張り、ある程度は仲良くなれるのですが、

問題は仲良くなった後のテンションの保ち方です。

人間関係の変化にうまく対応できないのです。

家に一人でいるよりかは、外で人と会うほうが

健全だし、有用な時間を過ごした気になります。

用事もないのにあれこれ目的地を考えるのも骨が折れます。

でもだからと言って無理に人に会っても全然楽しくないわけです。

私は人との距離感がつかみづらくて、急に馴れ馴れしくなったり、

はたまた他人行儀になったり、どうしたら良いのかわからない時が多いです。

人間の発露する生の感情にも、

どうにもリアルタイムでうまく対応できない。

泣き出した友達や怒り出した友達、

どうすればいいのかわからん。

職場の人とも仲良くなりたい気持ちはあっても何言えばいいかわかんないや。

 

会社の人たち

私の所属している部には、様々な人がいます。

部長は、今年で定年を迎えますが、一番よくしてくれます。

私の教育のため、延長雇用を決めてくれました。

住んでいる地域の星空観測の第一人者としての側面ももち、

趣味も充実している、物腰の柔らかい人です。

課長は、まだ若そうで、これからが正念場という雰囲気です。

先輩にあたる方々も、それなりにキャリアを積んできて、

取引先の人や、多部署の方々との会話にもよく花が咲いています。

30代くらいの、ものすごく太ったお兄さんは、

いつも無口で、汗をかいていますが、怒ると怖いです。

私と同じく、朝早く来ているおばさんは、

仕事中ずっとイヤホンをしていて、それでも聞こえてくるくしゃみや咳払い、

業務上必要な電話や会話にも、聞こえるように舌打ちしたり、

うるさい!と怒ったりしていて、少し変わっています。

他にも、私と同じく障害者雇用で採用された、

補聴器をつけた眉毛の特徴的なおじさんもいます。

とても大柄なおばさんもいます。いつもゆったりとした服を着ていて、

同僚とお話が大好きでよく話しているので、

舌打ちおばさんの舌打ちも無視して話します。

私の部に、特別変わった人がいるのかもしれませんが、

私の前に入った方は、職場の雰囲気が嫌でやめたようです。

お昼休み、めいめいにお弁当を食べたあとは、

みんな自席で携帯をいじったり、ネットサーフィンしたりしています。

談笑している人はいません。と思うと、

12:30を過ぎたあたりでフロアの照明が一斉に落とされます。

休憩中、みんなは文字通り休憩をするようです。

朝来て、仕事をして、休憩中は静かに自席に座っていて、

時間が来たらまた仕事をして、たまに質問して、定時を迎えて帰る。

一体いつ人間と会話ができるんでしょうか。

挨拶だけしていても、なんだかひとりぼっちのようです。

この前は、私の知らないところで、何かトラブルが起きていたようで、

それがわたしのせいになっていたようだったのですが、結局違ったようで、

でもその顛末は一切私は気づいてないことになっているので、

なんのリアクションもなかったのでした。

私は、外から入ってきたものとして、最低限のマナーを守り、

挨拶し、仕事を一生懸命しますが、

依然として部長以外と業務での関わりもないので、

必要以上に話しかけることをしないでいました。

でも、だからといってここまで話さないのはすごいなと思って、

家に帰ってちょっとひとりでわらってみると、

表情筋のこわばりがわかってしまいます。

仕事覚えて、それなりに任せてもらえるようになれば、

みんなとの会話も増えると思いますし、

試用期間を終えて、ようやく正社員にしてもらったので、

あとは、地道に頑張るだけなんでしょうが…

やっぱり、窮屈な感じがします。

頭も体もムズムズして、休日は思い切り、体を動かしたいです。

過去に生きる苦しさ

人と話す仕事、話さない仕事があると思います。

どちらが得意か、人によってかなり別れるんじゃないでしょうか。

私は、人と話さないと、どんどん顔がこわばってしまうし、

連鎖的に気持ちも塞ぎ込んで、余計なことばかり考えてしまうので、

人と話す仕事の方が得意だと思います。

あと、デスクワークと立ち仕事かという問題ですが、

これも、座っているのは疲れるから、立ち仕事の方が好きですね。

決まり切った仕事のローテーションと、

その時によって、やることが変わる臨機応変さが必要な仕事、

前者の方が間違いがなくストレスフリーかなと感じます。

きちんと時間通りにこなせたら嬉しいですし、

順調にステップアップしていけたらいいんですが、

どこまで教育に時間割いていただけるのかはわからないですし、

仕事といわれてイメージするものが、

とにかく答えのある数字や形を追いかけるものだったので、

なんとなく流れで今の仕事に就いています。

答えのない仕事は不安です。結局何しても不安なんでしょうが。

 

時間が勿体無い、勿体無いとは思いますが、

その勿体無い時間を、どう使うかも決められないですし、

決めても守れないでいるくらいなら、

人に決めてもらった方がいいと思います

 

昔好きだったことも今じゃどうでもよくなりましたし、

昔は欲しくて仕方なかったものもどうでもよくなりました。

面倒臭いのは、苦労して手に入れた先の未来に、

今より確実に良くなる展望が持てないことです。

だったら鞭打たれても機械みたいに働けたら

無になっても役立っている以上居場所は手に入れられます。

生き方探したり快不快を感じ分けたりするのも面倒臭いです。

なんのために生きてるかなんかもう考えられなくて、

更なる苦しみから逃げるためにひたすら目をそらし続ける毎日のなかで

少しでもマシになるようにいろんな工夫をするだけです。

寒いからか、落ち込みます。

 

高次脳機能の専門医かかりましたが、いつでもきていいし、

手帳の更新の時だけでもおいでと。いい人でした。

呼吸が浅いと脳に悪いから、深呼吸を意識して

脳に酸素をとりいれろ、鶏肉を食べろとのことでした。

 

生きることの何が大変って、意味なんかないってわかりきってるのに、

意味を求めそうになるところが大変です。

星が綺麗とか、たまに心動かす人の言葉や顔、

そんな細々としたフワッとした栄養で、

この先も生きてかなきゃならないのはやっぱしんどいです。

物事に関心持つのも体力の必要なことだったのかと、

今更ながら感じて、どうにも苦い感触です。

趣味あるひとは大切にしなきゃいけません。

もう戻れないところまで来てしまったというのに、

昔を懐かしんでばかりなのは流石につらいです。