高次脳機能障害 就労日誌

17歳で自殺未遂、高次脳機能障害に。リハビリ、職業訓練を経て障害者枠で正社員就労中 ASD積極奇異。精神2級。

不完全性への愛

初めて会う人間との距離感は、

一般的に遠いものだと思います。

何回も顔を合わせ、会話を重ねることで、

人がお互いの性格や様々な周辺状況を知り、

距離感が徐々に縮まっていき、対人的緊張もほぐれます。

初対面の人間に対しては、ある程度の接し方の規範があります。

まずは、見ず知らずの人間で、これからお世話になる場合、

失礼があってはいけないし、攻撃対象とされないよう、

慎重に言葉、行動を選ぶかと思います。

しかし、この慎重さや丁寧さが逆に作用して、

人との距離が縮めづらくなることもあります。

そこで、私は考えました。どうして慎重になるのか?

だいたい、嫌われたくないからです。

嫌われることが、自分の不利益になるからです。

でも、嫌われない方法なんてありません。

嫌いになるのに理屈がいらない人もいます。

だから1番いいのは、嫌われたことに気づかないことです。

私は、話の間が怖くてしかたありません。

話をしないでいると、目をどこにやればいいか、

どんな表情をすればいいか、わからなくて困ります。

だから、ずーっとマシンガンみたいに喋り続けます。

相手の反応が返ってくるスピードが遅くなってくると

途端に怖くなってまくし立て、相手の反応に注視しないようにします。

それでひとまず安心することができるのです。

もはや会話ではなくトークショー状態です。

先日遊んだ友人も、その多弁さに驚いたようです。

あった後は相手も私も疲れていることでしょう。

私は人と近しい仲になりたいと思っていて、

それが男だろうと女だろうと肉体的な接触を求めている気がします。

つまるところ、実は会話が苦痛なのですが

会話しないこともまた苦痛で、肉体的接触の際は

口を休めることができるので楽ということです。

でも一通り話して仕舞えば本当に話すのは搾り出すようです。

でも強迫的に喋ってしまうのでしかたありません。

自分の不完全性を他人に許して貰うことで、

自滅的思考を停止させることができます。

それをそろそろ、他人に依存するところから

内在する神的存在に担って貰うフェーズに来ています。

人の温もりというのはいいもので、その温もりに触れるたび、

その人の半生を想像したり、疲れた手のしわや、

剥けた唇の皮、ひっつめた頭から飛び出た後れ毛、

掛け違えたボタン、電話での空笑い、仕切りに動く手や足。

全てがその人の生きているかけらの数々です。

人の不完全性を愛さずに、一体何を愛せというのだろうか。