高次脳機能障害 就労日誌

17歳で自殺未遂、高次脳機能障害に。リハビリ、職業訓練を経て障害者枠で正社員就労中 ASD積極奇異。精神2級。

価値観と個人領域

いずれ死ぬのに、なぜみんな何か成そうと

必死で生きてるのか不思議だった頃がありました。

生きるというのは、色々な物事を経験し、

感じ、判断するための手段でしかなく、

生きることそのものに、たいした価値はないと考えていました。

もし価値があるなら、それは自分ではなく誰かにとって、

価値があるということなのでしょう。

価値という概念は、なにか大変に、

生きることそのものに結びついていそうです。

価値というのも、ふた通りあり、これは、

相対的(客観的)なものと、絶対的(個人的)なもの。

相対的なものをいくら考えてもキリがないので、

なんの後ろめたさもなく、良いと直感できること

そのものこそが、真の快と考えています。

他人が、心から安心し、私に四肢を投げ出す様子を見て、充足を得られます。

「私はいま、背中を預けられる程度には頑丈で、

お前を守ってやれるほどの体力と知性があるのだ。」

そう思えた瞬間、まるで自分に神が降りたような気分になります。

身体的限界領域を超え、地球を覆う大気のように、

全てを受け入れる用意があるとすら、思えてきます。

そもそも、死は織り込み済みの結末であり、

トラブルも悲劇も、全ての結末は、起こるべくして起きます。

惰性で生きるには辛い時間が長すぎるとは思いませんか。

だから、モルヒネまがいの努力をするんだと思います。

そういう悲劇と、それでも乗り越えてきたという、

小さなプライドだけで、多少ひもじくても生きられるからです。

結末などわかっています。誰の上にも等しく最期がきます。